大学入試古文の敬語の学習には、大きな誤解が存在しています
古文には、さまざまな学説の係争点があります。
しかし、センター試験や各大学の入試問題をみると、学説の係争点を外して出題しているケースが多いです。
たとえば、助動詞「り」は、奈良時代までは明らかに命令形に接続しているから、平安時代も已然形ではなく、命令形に接続していると考えるべきです。
しかし、文法問題で、已然形接続を不正解にして、命令形接続を正解にするような問題は出ません。
知識が欠けている先生に習ったのは、生徒の責任ではないからで、良識ある判断だと思います。
しかし、唯一の例外が、敬語の謙譲語です。
正しくとらえないと古文を理解することができないからです。
(1)謙譲語に関する誤った理解とは?
× 自分を低める、へりくだる敬語が謙譲語である。
これは、明らかにまちがいです。
(2)謙譲語に関する正しい理解とは?
- 動作を受ける人を敬う敬語が謙譲語である。
こう考えないと、理解できません。
学説を変えたのは、筆者が若いころにたった一度お会いしたことがある、馬淵和夫博士です。
馬淵博士の説が出たのは、昭和三十年代です。ですから、学校の先生もご存じだと思います。
不思議に思っていましたら、小学校の国語の先生をしている高校時代の友人が、
「予備校で将来の一流大学学生を育てるお前と違い、小学校の教師は、普通の日本人を育てるところだ。馬淵説が学会の定説であるのは百も承知だが、俺は、敢えて、謙譲語はへりくだる言葉だと教える。」
と言っていました。なるほど。納得しました。
一般に小学校などで、へりくだる、低めると教えられる理由はそんなところだと思います。
先生の勉強不足が原因とは限りませんね。
(3)謙譲語を使った具体的な事例
しかし、それでは大学入試に対応はできません。
たとえば、
- イ 「社長、専務に申し上げてください」
は、一見、へりくだっているように思いますが、
- ロ 「社長、新人の山田に言ってください」
という文章と比べるとどうでしょうか。
ロの文章は、
- ロ´「社長、新人の山田に申し上げてください」
のように、謙譲語をつけていうことはできません。
この違いは、どこから来るのか。
発言者の自分にとって、専務は偉い人ですが、山田は偉くないからです。
つまり、「言う」という動作の受け手が自分よりも偉いか偉くないかで謙譲語が付くか決まります。
また、この場に社長がいても、専務はいないということもポイントです。
「低める/へりくだる」で考えると、イは、自分がへりくだっているのはいいとして、誰に対してへりくだっているのでしょうか。社長に対してでしょうか? 専務に対してでしょうか?
この古い説は、間違いであると同時に非常にわかりにくく、使えません。
入試で聞かれる問題の形式は、「誰から誰への敬意か」が一番多いですから、正しい説に乗り換えないと得点に大きく影響します。